数学者Von Neumannが好きな人は読んでも面白くない。
数学者以外にはNeumannの数学の業績を紹介することは難しいだろうから、しようがない。
半分以上を軍事関係とcomputerの話題がしめる。
最初のハンガリーの歴史の紹介やNeumannの父親の話なども長すぎる。
一般人向けの伝記としても、余計な話が多すぎる。
著者がこの伝記で一番伝えたかったことは、
ソ連に世界が支配されなかったのも、第3次世界大戦が起きなかったのも、みんなNeumannのおかげ。
今の私たち(アメリカ人)が平和に豊かに暮らせるのは、みんなNeumannのおかげ。
ということのように感じた。
だから、ヨーロッパ時代の難解な数学をやっているNeumannは著者にとっては重要でない。だから苦労してNeumannの数学の解説なんかする必要はない。
同時代のHilbertやWeylといった大数学者もGödelも、著者の目には役に立たない難しいことをやってるだけに見えるんだろう。
ちなみに、死の直前、全米科学アカデミーが業績を3つあげるよう依頼してきたときのNeumann本人の回答は、
Hilbert spaceの自己随伴作用素のtheory、quantum theoryの数学的基礎付け、エルゴートtheoremの数学的基礎付け
それでも得るものはあった。
それを以下に列挙する。
自分より賢くない人と言い争うのは大の苦手。事実を突きつけて相手をつぶすことになるから。
言い負かせば相手は傷つくし、無礼だし、なによりも相手の機嫌を損ねてしまう。
いったん怒らせると、次に何かしたい時、してもらいたい時に困ってしまう。
emotionalになりがちな人間や、きっぱりとした政治信念をもつ人とは絶対に議論しない。言い争っても意見が変わるわけではなし、反論するのも面倒だし、感情をこじらせるだけだから。
友人2人に、Neumannが今生きていたら何をしているだろうかと聞いたら
「分子生物学にのめりこんでいるんじゃないか。quantum mechanicsに興奮したのと同じように、分子生物学を数学化しようとしてね」
経済学者がmathematicsを使い損ねた最大の原因は、「problemsがあいまいしごくな言葉で記述され、何が問題かも見えないので、mathで扱おうとしてもはなから無理。conceptやproblemをはっきり提示しないまま、厳密な方法論を使おうとしても無駄なこと」。
ニュートン一派が力学を打ち立てた背景には天文学の発展があり、「数千年来の系統的・科学的な天文観察の蓄積を巨人ティコ・ブラーエが集約したからである」。
「physicsにmathを応用する機がついに熟し、ニュートンが力学の合理世界を生んだとき、それと不可分の関係にあったのが無限小の計算(微積分)である。・・・今日の社会現象は、規模が大きく、顔つきが実に多彩で複雑な構造をもつが、それはphysicsも同じだ。だからmathematical economicsをまともな武器にしたければ、微積分に肩を並べるくらいpowerfulなmathの技法を生み出す必要がある。
Feynmanのプリンストン高等研究所に対する意見。
「思い悩んでいることと隣り合わせのことを学生が質問してくれて、思いがけないproblemに目を向けさせてくれる。自分だけじゃなかなか思いつけないproblemだ。講義をし、学生と付き合うからこそ仕事は前に進む。誰が発明したのか知らんが、教えなくていいhappyな立場なんて絶対に嫌だね。絶対に。」
これを読んで、朝永振一郎が、1949年に一緒にプリンストン高等研究所に行った小平邦彦に言った「天国に島流しになったみたいだ」という言葉を思い出した。(小平邦彦『怠け数学者の記』)