元になっているのは、Bell System Technical Journalの1984年8月号の第2部のUNIX特集号。
1979年以後の32bit型computer向けのUNIXに関連する論文を集めたもの。
この中に2本(多分…)dmrの論文が掲載されている。
その内の1本が「The Evolution of the UNIX Time-sharing System」という1980年に一度発表したものの再録。
1973年にCで書き直される前のまさに「始まりのUNIX」のことが、短い文章ながら意外と詳しく書かれていて、とてもおもしろかった。
English版のWikipediaのUNIXのページにもこの論文から引用されている箇所がある。
Douglas McIlroy氏もこの論文を
Nobody has told thatとして補足を加えている。=> Remarks for Japan Prize award ceremony for Dennis Ritchie, May 19, 2011, Murray Hill, NJ
story better than Dennis himself did in the Bell System Technical Journal in
1984, but perhaps I can add some footnotes.
ということで、この論文に書かれていたことからいくつか書き出す。
UNIXに初期の頃から関わってきたgroup => K.Thompson, Ritchie, M.D.McIlroy, J.F.Ossanna
我々は実際にMulticsに携わってきたベル研の最後のgroupに属しており
その成功に一縷の望みを託していた
我々としては、他に利用できる同様のsystemがなかったので、せっかく満足している環境をあえて失いたくなかった。
我々が守ろうとしたのは単にプログラミングしやすい環境ではなく、まわりと親交をもつことのできるシステムであった。
1969年から我々はMulticsの代わりを見つけようという試みを開始した。
Brian Kernighanが、多少Multicsをけなした語呂合わせでUNIXという名前を言い出したのは1970年に入ってからのこと「文書編集および文書整形専用のシステムを作成する」という名目で、PDP-11の購入申請をすることにしたのは J.F.Ossanna
1971年、「購入時の約束を果たすため、特許部に対し特許申請書作成用に文書処理サービスを提供することを考え」、1971年後半には実際に特許部に採用された。
UNIXにパイプが実現されたのは、M.D.McIlroyが強く主張していたから。
そして、次の文でこの論文は終わっている。
なお、読者の皆さんには、本論文中に出てくる「我々」をただ漠然と「Thompsonとそれを多少援助した私」という具合に解釈しないでいただきたい。この論文を読む限りでは、「Space TravelをplayしたかったからUNIXを作った」という話は、あまりにも多くのことをはしょりすぎだと思った。
元々、Multicsに代わるOSが作りたくて設計をしていたときに、手軽にSpace TravelをplayするためにPDP-7を手に入れた結果、自分たちが自由に使えるcomputerが手に入ったので、そこにすでに設計していたfilesystemを含め、それまで仲間内で議論していたideaを盛り込んでいった結果、UNIXができた、ということのようだ。
ところで、ここでとりあげたのは薀蓄として語るような話だけで、実際には技術的におもしろい話も書かれているので、一度読んでみた方がいいと思う。
探してみたら、原論文がWeb上にあったのだけど、公開していいものかどうかがわからなかったので、リンクはしない。